【ライブ案内】 2012/1/8 (日) 18:20- HUB浅草 *11/27更新

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次回ライブは2012年1月8日(日曜)18:20- 浅草HUBです。是非お越しください!


Georgia Cabin

1940年、ニューオリンズジャズの盟友Johnny Dodds (cl) が亡くなる。その翌月、シカゴで行われた追悼セッションに参加したベシェは、自宅のあるニューヨークまでの長い帰り道を飛行機ではなく車で行く。平和な田園風景の広がるシカゴからニューヨークまでの真っすぐ平坦な道、その道中にてGeorgia Cabinを作曲した。優しく心温まる素朴なメロディ、ベシェは何を想いながら車を走らせたのか。Johnny Doddsが亡くなる直前に行われたDeccaのアンケートが、数カ月後に公表された。そこには、「最も影響を受けたミュージシャン」として、ベシェの名前が記載されていた。


Where am I

1947年、真冬のシカゴにてベシェの盟友Mezz Mezzrowとのクインテットが録音したこの曲は、ベシェが生涯に残した数多くの作曲の中で、もっとも幻想的で美しい傑作。Pops Fosterの心地よいベースに支えられ展開される素朴ながらも歌心溢れたダイナミックな旋律は、ベシェの才能の真骨頂だ。とかく軽んじられがちなMezzrowの引きずるようなクラリネットも、ベシェの力強いリードの最高の引き立て役となっている。二人は私生活では不仲であったが、コンビで録音した数多くの曲は、近づき難い強烈な異彩を放ち輝くものばかりだ。


Waste no tears

1949年、ニューヨークで売れっ子となったベシェが、同居しながらベシェから音楽を学んでいた愛弟子Bob Wilberとの共演のために用意した曲。二人は数々の息のあった名演を残したが、重くゆったりと流れる美しいメロディを二人が悠々と奏でるこの曲は、その中でも秀逸な作品。この録音を残した翌年、ベシェはパリに居を移し、二人は二度と共演することはなかった。


Coquin de Boubou

1956年、パリで幸せな晩年を謳歌していたベシェがフランスのコメディ映画"Ah! quelle equipe"のために用意した曲。表題は「ボーボの悪党」という意味。陽気で底抜けに明るいこの曲を、ベシェは晩年のライブで頻繁に使用した。Andre Reweliotty (Cl)率いるバンドとの録音はドタバタの拙い演奏だが、それもまたこの曲には良くあっている。


Blues in the Air

1941年秋のニューヨーク、名手Vic Dickensonとのコンビで再結成したNew Orleans Feetwarmersによるスタジオ録音のためにベシェが用意した曲。以後何度も録音したベシェの代名詞。風の囁きのような軽いピアノのイントロに続き、大河のように重くゆったりと流れるメロディ、そのうえに突如悲しげな旋律が乗り、やがてブルースの合間をベシェの美しいソプラノサックスが縫うように展開する、シドニー・ベシェの真骨頂が味わえる名曲。


Dans les rues d'Antibes (In the streets of Antibes)

シドニーベシェが晩年の1951年、自分の結婚式のために特別に作った曲。フランス南部コートダジュールの町アンティーブの通りを400人を超える招待客を含め大勢の人々が埋め尽くし、10以上のブラスバンドが演奏してパレードする中、騎馬隊に先導され幸せそうなベシェ夫妻が馬車で練りまわる映像が残っている。尚、この際に結婚した相手(Elisabeth Ziegler)はベシェが1928年ドイツ滞在時に婚約した相手であったという。


Mon homme (My man)

1910年代にフランスで作曲され、フランス人歌手Mistinguetteが持ち歌として広める。1920年代にアメリカに輸入され、後1940年代にBillie HolidayがMy Manとしてレコーディングし大ヒットとなるが、同時に曲調をがらっと変えてしまった。1950年代、ベシェの演奏するMon hommeをパリのクラブで聴いた晩年のMistinguitteは一人涙を流した、と彼女の自伝には書かれている。


One hundred years from today

Photo: New Orleans (Oct. 2009)
T. Kitanaka (ss) & T. Shimizu (bj) - rec. Nov. 2009


Sleepytime down south

Recorded Nov 2009 - T. Kitanaka (ss) & K. Ono (pf)
(Photo: Breda Jazz Festival)


Somebody else is taking my place


"Indian Summer" --- アイルランド人クラシック奏者(チェリスト)のV. Herbertが1919年に作曲し、後にジャズのスタンダードとなった名曲。表題は晩秋の暖かな小春日和の意味。フランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団をバックに甘い歌声で歌ったものが有名だが、シドニー・ベシェはそれに先んじて1940年にこの曲をジャズの世界に初めて持ち込み、美しい録音を残した。


"Dear Old Southland" --- "After you've gone"や"Way down yonder in New Orleans"などの名曲を生み出したピアニストのT. Laytonが、南部プランテーションの黒人霊歌である"Deep River"および"Sometimes I feel like a motherless child"を取り入れ1920年代に作曲。ルイ・アームストロングがアール・ハインズとのデュオで1930年に録音したものが有名だが、シドニー・ベシェは1920年代から頻繁にこの曲を演奏に用いたとされており、1930年代にNoble Sissle楽団をバックに素晴らしい名演を残した。その後も何度も録音し、生涯に渡りベシェの代名詞の一つとなった。


"Si tu vois ma mere (Lonesome)" --- 1952年、パリにて優雅な晩年を過ごしていたベシェが作曲。表題は「もし貴方が私の母に会ったなら」という意味。シドニー・ベシェの醍醐味である独特の美しいメロディラインが存分に使われている。ベシェは多くのニューオリンズ・ミュージシャンと同様に楽譜が読めなかったがピアノは自由に弾きこなせたため、作曲はベシェのピアノをもとに楽譜が書ける友人が代筆したとされている。ベシェの美しいピアノが聴こえてくるような印象的な曲。


"Petite Fleur" --- 同じく1952年、フランスにて再婚したベシェが新妻に捧げて作曲。世界的な大ヒットとなり、シドニー・ベシェと言えばこの曲、と言われるベシェの代名詞。表題は「小さな花」の意味。ベシェが亡くなった1959年、フランスから遠く離れた日本では「可愛い花」としてザ・ピーナッツのデビュー曲に使われた。


"Summertime" --- ガーシュインが1935年、オペラ「ポギーとベス」のために作曲。1939年にベシェが初めてジャズナンバーとして用いてBlue Noteレーベルに録音したが、これがアルフレッド・ライオンが同年立ちあげたばかりの同レーベル初の大ヒットとなり、以後"Summertime"はジャズのスタンダード・ナンバーとなるとともに、Blue Noteも不動のジャズレーベルとしての地位を確立することとなった。

投稿者: 北中たけお 日時: 2012年01月08日 21:32 |

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